運営者の宮平です。
前回のブログで第2回目の地固め療法が開始するという発表して今日まで時間が空いてしまいました。
結論から言えば、第2回の地固め療法で僕の体が完全にやられてしまったため、更新することができませんでした。
今回の記事では、前回までの状況から今日に至るまでの経過を書き綴りたいと思います。
前回までの状況がわからない方は先に以下の記事をご覧ください。

11月15日 抗がん剤治療 blocks2開始

これが実際の治療計画なのですが、今回強力と言われている薬が
メソトレキセートという薬です。
24時間かけて500mlの薬を点滴で体内に入れ、血液のがん細胞をこの薬と一緒に尿で排出するという治療でした。
実際のメソトレキセートの画像はこちら

色からしてちょっと怖かったですね。
11月16〜17日 メソトレキセートの点滴が終了
16日に24時間かけてメソトレキセートの点滴が終了しました。
メソトレキセートの副作用として、
- 骨髄抑制(白血球などの血球生産を止める)
- 吐き気
- 口内炎
- 下痢
- 発熱
などが挙げられますが、点滴を入れ切った時点では特に体に異変はありませんでした。
「副作用も何もなく終わりそうだな」
と思っていた矢先、その日の夜10時半頃、就寝直前だったと覚えています。
これまでにない腹痛を経験して、夜にもかかわらず医者を呼んで診てもらいました。
しかし、メソトレキセートの副作用として腹痛の報告はあまりなかったのでその日は痛み止めを飲んで終了。そのまま就寝しました。
翌日17日、朝起きてからずっと気分が優れていなく、定期的に行われる血液検査で
腎機能に異常あり
という診断結果がありました。
予定していた治療も一旦ストップし、人工透析を行うことになりました。
「ん?人工透析?何それ・・・」
そんな不安を持ってその日の午後を迎えました。
11月17日 人工透析開始して記憶喪失!?
人工透析とは、腎臓の働きを人工的に補う治療法です。
病気などの影響で正常に機能しなくなった腎臓の代わりに、血液中の老廃物や余分な水分を取り除きます。
引用:https://www.seijinkai.jp/mihama/department/dialysis/6_610b917983191/
後でなんとなく分かったのですが、腎機能に異常があり、メソトレキセートが排出できないため人工的に排出する
そんな感じで理解していました。
そして、いきなり個室に呼ばれ首に人工透析の管を入れる作業をしました。
そこから腎臓内科というところへ移動し人工透析開始。。。。。
透析開始してから約2日間は記憶が全くありません。
気を失っていたわけではなく、その2日間は一瞬目が覚めてはすぐ寝ての繰り返し。
ずっとベッドの上にいたわけですから、太陽の浮き沈みなども全くわからず時間感覚がありません。
その上、その2日間はご飯は一切口にすることなく寝ていました。
11月19日 体力が戻ってきた
2日後の19日の夕方に、意識も体力も戻ってきました。
ほぼほぼ気を失っていて、寝たきりだったというだけの記憶は残っていたのですが、日付自体は、半日くらいしか経っていないだろうなぁくらいの感覚でした。
母親と毎日連絡していたので、今回のことも状況報告として連絡しようとしたところ、LINEの通知が200件以上たまっていた時にはじめて
「え?透析してから数日以上経っている!?」
「今日は何日で何曜日だ!?」
そんな気持ちでいました。
看護師さんからも、
「やっと目が覚めたんですね!」
と言われて、思わず
「僕ってどれくらい寝たんでしょうか?」
と質問すると、やはりここ2日はずっと寝ていたとのこと。。
そして、起きてはずっと
吐き気とだるさがしんどくてずっと寝かせてください
なんてずっと言っていたみたいです(記憶にない・・)
命に別状があるわけでもないのですが、突然連絡が途絶えたことによって僕の家族も一部の友達も「死」が頭をよぎったみたいです。。
ご心配おかけしました。。。
11月20日〜今日に至るまで

実際の透析の写真です。
自分の血を一旦透析機に送って、浄化した後に自分の体内に戻しているんだとか。
平日は毎日3時間以上の透析をして、体内にあるメソトレキセートを排出していました。
透析が終わった後は、鼻血は出るし体は地味にだるいしで結構しんどいです。
もう一つ辛かったのが、意識が戻った19日か25日くらいの1週間は
毎食「プリンorゼリー + フルーツ1種」のみでした。
プリンorゼリーは問題ないのですが、その時既にメソトレキセートの影響で口の粘膜がやられ口内炎ができまくりなのでご飯を食べるだけでも痛い思いをしなければなりません。
中でもフルーツの柑橘系は口内炎に激しみます(めちゃくちゃ痛いです)
だからほぼ毎食プリンしか食べることができませんでした。。。

12月現在、毎日の透析を繰り返して、体内に入っているメソトレキセートはほぼほぼ排出済みという状況まできました。
透析終了し、1週間ほどの体調経過を見て問題なければ2回目の一時退院になるような流れになるかと思います。
ただ、一時退院期間が12月の半ばで1週間弱の退院期間と考えたら、今年のクリスマスや年越しは病院の可能性が高いですね。。。
せめて年越しは外泊できないか確認してますが、できなかったらしゃーないです。
まとめ
これまでの抗がん剤治療の中で一番しんどかった期間になりました。
痛い思いも苦しい思いも、メンタル的にもだいぶやられました。。
周りから「心配していたけど命に別状はなく順調そうでよかった」とは言われますが、
正直に述べると、今回の入院ではお世辞にも順調だったとは言えません。。
というのも、
今回大苦戦したメソトレキセートは今後の治療でも使う予定の薬で、それが今後使えなくなるということは治療計画を丸ごと編成しなくてはいけないことになりました。
もう一つ、透析して体は回復したものの、肝心のがん細胞が減ったかどうかというのは確認が取れていないため、完治近づいたとも言い難いという状況です。
強いていうならば
- 自分の体には合わない薬を見つけることができた
- うまくいかない治療方法を発見することができた
ということが今回の入院での収穫になると思います。
まだまだ闘いは長くなりそうですが、このブログで随時状況を報告できればと思いますのでどうぞ引き続きよろしくお願いします。